top of page
  • 執筆者の写真ひろみ エトランジュ

自画自賛の時代 人生は瞬間移動

更新日:2022年10月16日


人生、自画自賛出来ないんじゃ、そもそもつまらないでしょというお話。




何が見える?聞こえる?匂い、香りは?肌触り、感触、気配、味わいは? あなたが感じているすべてが自分の現実であり、自分の世界。誰に何と言われようと自分の幸せが基本。自分が良いならそれでいいのです。良くないなら。自分で信じられないなら、怪しいと思うなら、調べるのです。確認するのです。気になってるのに無視しせず、面倒がらずに。 先月出版しました「美というスピリチュアル」にも書きましたが、透明な人型の発光体が枕元に立つという経験がありました。後にその正体が判明?するのですが、それな私の人生経験(知識も含め)から感じていること。誰もが同じような経験をするわけでも、私の意見が正しいわけでもありません。


ここで大事なことは自分がそう感じて、そう思って幸せなら、すっきりするなら、納得しているならいいってこと。堂々と自分の人生観を語っていいのです。私にとっては怪しい事ではなく、むしろこれが本当であり、私の世界の感じ方であり、それは磨かれ、変化していくこと。最も重要なことでした。


親指大の小人が歩いている。ほらそこに。そう言われても私には見えなかったけど、その人には見えるのです。ホントだ、見えるね、と見えもしないのに同意しなくていい。でも、その人にはそれが本当であり、言いたいなら堂々と発言したっていいんです。分かってもらおうとか、見えない方がおかしいとか言わなければ。他人に自分の世界観を押し付けなければいいだけ。言わなくてもいいし、人を場所を時を選ぶことも必要ですけれど。


山肌をよじ登っていたら、足元手元の山肌がズルズルっと動きだし、白龍へと変身。私は龍の背に乗って空を飛んだりもしました。まるで千と千尋の神隠しの一シーンみたいな。リアルだけど、空気感がいつもと違った。 足を踏み外して階段から転げ落ちそうになった時は危ないと「思う」と転びそうになり、大丈夫だと「思う」と体制を持ち直し…空中で4回ほど繰り返して無事だったのですが透明な膜の上に乗って弾んでいる感覚がありましたね。落ちる側場と、持ち直す場の間の膜の上に乗っている体感。何度か感じたことがありますね。


力を抜いた時と入れた時で「場」が違うんです。人は瞬時にテレポーテーション出来るということ。もうダメ絶対ダメと思った次の瞬間、違う場に移動することも出来るのはこういうこと。いい加減にしなさいよ!と怒った瞬間に電話が鳴って、お金が入って来たり。私は現実は連続してない、と知っていますから、自分に素直に生きている時ほど、ちゃんと助けやお金や人や物はやって来ました。サディスティックミカバンドのライブも、一条ゆかりさんの漫画で知ったヴァンデンプラスプリンセスという英国車も。知人や友達から10年も20年も経ってやってくるではありませんか。直接欲しい、なんて言ったことはありません。


願いは、純度が高ければ(出来ない理由がなければないほど、頑張りがないほど)すんなり叶うのです。時差があったり、場が違うだけ。自分の現実という世界をいかに楽しむか。いいね―これ。いいねー自分、やったね、出来たね、最高だね!

こうでなくっちゃつまりません。 自分の幸せ人生を日々再現。この再現性をよりアップデートするためのセッション。楽しく面白く時空を超えませんか。瞬間移動の術と言っていいかもね。






閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page